Biography

JIN(ジン)

ジン

韓国のポップシンガー。5歳の時から音楽触れ、子供の歌(童謡)ではなく、20代〜30代で流行っている歌が好きだった少年。
しかし、JIN(ジン)が人前で歌を歌うことはなかった。内気な性格を持つ少年は人の前で注目されることを嫌っていたのだ。しかし自然に彼を大きく前進させる時期が訪れる。それは、中学を卒業する時に将来への方向性を考える時期だった。自分がほんとにやりたいことは何なのか?両親に初めて自分がやりたいことを伝えた。両親はとてもビックリした。それもそのはずだ、何事にも表に出ることを嫌っていた少年が初めて語った将来への夢。音楽業界。この日から両親はJIN(ジン)の夢を応援する一番の理解者となる。
16歳から初めて歌を歌い始め、学校を通いながら3年間一人で練習しながらオーディションを探しては、応募して探しては応募する日々。歌の大会にもたくさん出場した。できることはすべてやった。そしてJIN(ジン)を大きく変える転機がきたのは19歳で受けたDSPのオーディションだった。見事に受かり正式に所属事務所契約となったのだ。そして2008年4月JIN(ジン)当時21歳でA’st1(エースタイル)のリーダーとしてデビューとなる。
デビュー曲は『1234BACK』その後、日本でもブームにもなったドラマ『花より男子』韓国版挿入歌『Yearning of the Heart』でブレイク。誰もが順風満帆な音楽人生がスタートしたと思えた。しかし、現実はそんなに甘いものではなかった。韓国人、日本人、中国人で構成されたメンバーは、VISAの関係でメンバーが揃って活動することができず、ライブすらまともにできない日々が続く。そのストレスからメンバーの方向性が少しずつズレ始める。リーダーである彼は、なんとかまとめようと務めるが、日々事務所とメンバーの板挟み。解決策がないまま、まともな活動もできず、2009年11月解散。
解散後、JIN(ジン)は音楽を聴くのを止め。。歌うのを止め。心身共に疲れ果てていた。また、自分の好きな音楽で初めてプロとしての大きな壁にぶつかった瞬間でもあった。将来の夢を閉ざされ、息抜きとして始めたサッカー。そこで、第二の転機が訪れる。JIN(ジン)が所属する韓国芸能人サッカーチーム『FC MEN』からメンバーを選出して日本でデビューという話しだ。
最初は軽い気持ちで話しに乗り日本での活動をすることになった。アイドルグループM.E.Nとして1年間活動する。活動自体は軍隊問題などでやむ得なく休止。だが、JIN(ジン)にとって日本での活動が自分に大きな影響を与えてくれた。
今までやりたかったライブ活動。
日本での活動は大好きだった音楽を楽しむことを思い出させてくれたのだ。
このままで終わりたくない。この想いは朽ち果てることなく日に日に大きくなる。そんな時、現メンバーJ(ジェイ)からのオファーは何より嬉しかった。また大好きな音楽が日本でできる。自分の人生を変えてくれた音楽の素晴らしさを多くの人に伝えたい。ファンのみんなへ最高の時間を届けることを胸に刻み、JIN(ジン)は終わりなき旅路へ進み始める。
2014年6月J-BRO(ジェイブロー)始動。

諦めず、行動し続ければ、夢は叶う


  • 生年月日

    1987年5月1日

  • 本名

    Park Jung Jin(パク・ジョンジン)

  • Twitter

    @duduubub

J-Hwan(ジェイファン)

ジェイファン

韓国ソウル生まれ。韓国のポップシンガー。
幼少時代はプロサッカー選手を夢見る少年だった。
中学に入り怪我と指導者との人間関係トラブルによりサッカー選手の夢を断念。
自分の表現場所をなくし、その憤りを周りの人へぶつける日々が始まる。
次第に交友関係も少なくなり、心を閉ざすようになっていた。高校に入学し自分の表現を音楽にぶつける道を選び、仲間と一緒にバンド(Vocal)結成する。これが、J(ジェイ)の音楽活動のスタートだった。
しかし、完璧主義の性格が自分の歌唱力の限界を苛立ちに変え、自問自答する日々を過ごすことになる。そんな苛立つ日々に終止符が打たれるのは、しばらく経ってからだった。
何気なく友達に連れられたライブハウスでHIP HOPサウンドに出逢う。そしてこの日がJ(ジェイ)の人生のターニングポイントとなる。彼はすぐにHIP HOPのグルーヴの虜となり、時間があればラップの勉強に励む。個性的な感性から生み出されるそのライムは独特な世界観を生み、後に音楽業界の人物の目に留まることになる。ラップにであってから1年もしないうちに芸能事務所(後に所属事務所社長)にスカウトされるのである。
そして、ソルビ(女性Vocal)、ウジェ(男性Vocal)ジファンRapper(現ジェイファン)で構成されたダンスユニット『Typhoon』が結成され2006年デビューすることとなる。4年間の活動を経てCDアルバム3枚、シングル8枚をリリース。1年間事務所のSTAFFとして新人のラップ指導、歌詞の提供を行う。
その後、韓国芸能人サッカーチーム『FC MEN』に所属。そこで、第二の転機が訪れる。J(ジェイ)が所属するサッカーチームからメンバーを選出して日本でデビューという話しだ。元々アーティストとしての活動していたJ(ジェイ)は、アイドルグループでデビューすることに抵抗があった。しかし、元マネージャー(イム・ヨンピル)の強い勧めに心動かされ日本で活動することを決断。日本でアイドルグループM.E.N(メン)として1年間活動することとなる。活動はメンバーの軍隊問題などでやむ得なく休止。
休止後、J(ジェイ)はどうしても日本で音楽(作曲)勉強をしたいという強い思いがあり、日本で出会った信頼できる人物へ自分を売り込みに行くのである。(後に所属事務所オーナー兼プロデューサーとなる)当初は音楽(作曲)の勉強だけと考えていたJ(ジェイ)だったが、日本での活動の喜びを語っていくうちに、アーティストとしての気持ちがよみがえる。その強い気持ちに感銘を受けた人物が一人また一人と集い、最高のSTAFF陣彼の元へ集結するのである。
心機一転アーティスト名をJ・Hwan(ジェイ・ファン)と改め、Vocal(ボーカル)にJIN(ジン)を加え、ユニット名J-BRO(ジェイブロー)を結成。『J』は2人の頭文字。『BRO』は『BROTHER(ブラザー)』=兄弟・仲間を意味する。
2014年6月J-BRO(ジェイブロー)第一章の幕開けである。
現在は、Vocal(ボーカル)にJIN(ジン)が兵役。
J(ジェイ)は、人生初のソロデビュー曲を収録したCD『SUPA DUPA(スパドゥパ)』を2016年8月31日リリース。
J(ジェイ)の戦いはまだ終わらない。

自分を信じること 周りを愛すること 明日を夢見ること


  • 生年月日

    1989年1月1日

  • 本名

    Sim Ji Hwan(シム・ジファン)

  • Twitter

    @JiHwan_Sim